こちらでは、名古屋に本拠を置く百貨店、松坂屋さんのネットショップを紹介しています。

 

 大丸さんと提携した松坂屋さんでも、もちろん独自サイトの運営が継続しています。

 ギフトコーナーのほか、幅広いジャンルの商品が紹介されています。

 

・扱いジャンル

 ギフト、コスメ、スイーツ、ドリンク、グルメ、食材、リビング、キッチン

 フラワー、ベビー・キッズ、ファッション、雑貨、ホビー

 

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■サイトへのリンク

 →松坂屋のオンラインショップ

 

 

【Wikipediaの記述より】  2008年9月10日 (水) 05:50 版

松坂屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

株式会社松坂屋(まつざかや、英称:Matsuzakaya Co., Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。

 

概要
中京圏に拠点を置き、とりわけ名古屋では圧倒的なブランド力を持っている。イメージフラワーとしてカトレヤを古くから採用している。

戦後の一時期三越や高島屋などを凌ぎ日本一の売上を誇る百貨店企業であったのみならず、現在の三菱東京UFJ銀行の前身の一つ伊藤銀行(東海銀行・UFJ銀行を経て今日に至る)、名古屋の帝国ホテルと呼ばれた名古屋観光ホテル、名古屋商工会議所の設立にも関連した近代名古屋の名門企業であった。

業界他社に先駆けてエレベーターガール、制服の完全洋装化を採り入れた。

売り場面積が日本一(86,758m2)である本店(名古屋市中区栄)の他に、名古屋駅(名古屋市中村区)、愛知県岡崎市、愛知県豊田市、上野(東京都台東区)、銀座(東京都中央区)、静岡市葵区、大阪府高槻市にある。

また子会社「横浜松坂屋」の店舗は横浜市にあるが、売上減少や建物老朽化などにより2008年10月26日で閉店することになった。過去には札幌市、山形市、大阪市、大阪府枚方市など、また海外にもパリに店舗があった。

名古屋の有力企業四摂家の1社(他の3社は中部電力・東邦瓦斯・名古屋鉄道)。

2006年、持株会社によるグループ統括方式に移行したが、翌年、大丸との経営統合に方針を転換。2007年9月3日、親会社の松坂屋ホールディングスが株式移転方式で新持株会社「J.フロント リテイリング」を設立。当初はその孫会社となったが、J.フロント社に松坂屋ホールディングスが吸収合併されJ.フロントの直接子会社となった。

地元市民の高齢層では「伊藤様」と呼ぶ人もいる。名古屋市を中心とする東海圏では他店よりも格上の百貨店であるという認識が強く、松坂屋の外商部と取引があることが一種のステイタスとみなされる場合も多い。

なお、2010年に会社設立100年、翌2011年には創業400年を迎える。


沿革
1611年 - 清洲越しにより移転してきた元織田家家臣(小姓)の伊藤蘭丸祐道が名古屋本町で「呉服小間物商いとう呉服店」を始める。
祐道はのち大坂夏の陣で豊臣方について戦死し、呉服店は一旦閉店となる。
1659年 - 祐道の遺児・祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を開業。
1736年 - 呉服太物小売商に転業。
1768年4月5日(5月20日) - 江戸・上野の松坂屋を買収して、いとう松坂屋と改め、江戸へ進出。
1875年 - 大阪のゑびす屋呉服店を買収して、ゑびす屋いとう呉服店として新町通に進出し開業。のち1925年に松坂屋と改称した。
1964年 - 松坂屋CMソング誕生(作詞 永六輔、作曲 中村八大)。この曲は、かってCBCラジオの提供番組「カトレヤミュージック」(放送終了)でインストゥルメンタルで聴くことができた。関東でもかつて日本テレビの目方でドーン!、NNN昼のニュース、NNNライブオンネットワーク、NNNニュースプラス1、皇室日記に提供していて、これらの番組でも聴くことができた。
1972年 - 名古屋店北館開店(リビンザ)。
1973年 - 株式会社丸久(山形市)と資本提携を締結(株式会社丸久松坂屋となる。1982年、株式会社山形松坂屋に改称)。
1974年6月8日 - 「アカシアの花白くいま開く松坂屋」というキャッチフレーズのもと札幌松坂屋開店。道内一の歓楽街すすきのを夜の街から昼の街へと変え、大きな話題となった。
1979年 - 株式会社札幌松坂屋が大幅な赤字を解消するためイトーヨーカ堂と提携し、株式会社ヨークマツザカヤとなる(1994年、ロビンソン百貨店札幌店に改称し、完全に松坂屋グループを離脱)。
1991年 - 名古屋店南館開店。
1999年 - 市川店閉店。
2000年 - 山形松坂屋閉店。
2001年 - 四日市店(三重県)閉店、豊田店(豊田そごう跡)開店。
2004年3月31日 - くずは店(大阪府枚方市)が閉店。同年5月5日天満橋店(大阪店、大阪市中央区)が閉店。
2005年 - 豊富な含み資産に目を付けた村上ファンドに株式の約10%を買い占められ、経営混乱。
2005年8月31日 - パリ松坂屋が閉店。
2006年9月1日 - 持株会社「松坂屋ホールディングス」を設立し、株式移転方式で持ち株会社体制に移行した。
2007年3月14日 - 大丸との経営統合を決定。
2007年4月9日 - 大丸との共同持株会社の名称を「J.フロント リテイリング株式会社」にすると発表した。
2007年9月3日 - 株式移転方式でJ.フロント リテイリング設立。
2007年11月1日 - J.フロント リテイリングが松坂屋ホールディングスを吸収合併。これにより、松坂屋はJ.フロント リテイリングの直接子会社となる。
2008年10月26日 - 横浜松坂屋閉店予定。

 

屋号について
三重県にある「松阪市」と混同して、しばしば松阪屋と誤表記される。(坂と阪の違い)また、マークが松阪商人の三井家の家紋と酷似している事も一因である。

もともとこの百貨店の屋号は創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字から採ったいとう屋であった。この伊藤蘭丸祐道の祖先は織田信長の小姓をしていたとされる。

1767年、江戸郊外の上野にあった呉服店・松坂屋を買収した際、江戸の屋号はそのまま「松坂屋」を使用したが、これは既に江戸市中に松坂屋の名前が知れ渡っていたため、本来の「いとう屋」に変更するよりも得策と判断したからである(同様の例に、横浜発祥の松屋がある)。

「松坂屋」のそもそもの由来は、上野の店が1707年に(現在の松阪市中心部に当たる)伊勢松坂出身、つまり松阪商人の太田利兵衛の手により開業した事によるもの。当時の松坂は木綿(松阪木綿)の主要な供給地でもあり呉服とは無関係ではなかった訳である。大阪進出の際も同様の理由により買収した「ゑびす屋」をそのまま使用してきたが、全店舗で屋号を統一する事となった際、東京で使用されてきた「松坂屋」が採用される事となり、現在に至る。

名古屋発祥であり、現在も名古屋に本拠を構えている同社であるが、敢えて由緒ある「いとう屋」の屋号を封印したのは全国チェーン化を睨んだためである。


松坂屋ホールディングス
2005年から2006年にかけて、優良資産に目を付けた村上ファンドが松坂屋の大株主となり、一時経営を揺さぶられた。そのため、機動的かつ柔軟な経営判断ができる体制を構築するとともに、グループ各社の採算性と事業責任の明確化を図ることを目的として、株式移転により「株式会社松坂屋ホールディングス」(松坂屋HD)を設立し、純粋持株会社体制へ移行した。

しかし、設立から1年も経たないうちに大丸との経営統合を発表し、持株会社発足からちょうど1年後に共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」 (JFR) が設立された。そして、松坂屋HDはJFRに吸収合併され、役目を終えることとなった。

沿革
2006年4月13日 - 純粋持株会社体制への移行を発表。
2006年9月1日 - 設立。
2007年3月14日 - 大丸との経営統合を決定。
2007年9月3日 - 株式移転方式で共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立。松坂屋ホールディングスは上場廃止。
2007年11月1日 - J.フロント リテイリングに吸収合併された。これにより、株式会社松坂屋は株式会社J.フロント リテイリングの直接の子会社となる。

 

 

 

 



 




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